東京地方裁判所 平成元年(ワ)5256号 判決 1992年11月10日
主文
一 1 被告株式会社山村企画は、原告寒竹民子に対し、別紙証券目録(一)記載の各証券を引き渡せ。
2 前項の各証券の引渡しの強制執行が不能となつたときは、被告株式会社山村企画は、原告寒竹民子に対し、金一三〇八万五六七九円及びこれに対する強制執行不能の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告株式会社トーキョウワールドコマース、同横田有功、同高木亮一、同金井竜吉、同田野正行、同若林三郎、同飛田謙二、同草野正人は、原告寒竹民子に対し、各自金一一四三万六三〇〇円及びこれに対する昭和六二年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 原告寒竹民子の被告若林弘雄、同佐藤義和、同三原進に対する請求をいずれも棄却する。
二1 被告株式会社山村企画は、原告速水澄子に対し、別紙証券目録(二)記載の各証券を引き渡せ。
2 前項の各証券の引渡しの強制執行が不能となつたときは、被告株式会社山村企画は、原告速水澄子に対し、金二〇五二万八一九六円及びこれに対する強制執行不能の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告株式会社トーキョウワールドコマース、同横田有功、同高木亮一、同金井竜吉、同田野正行、同若林三郎、同飛田謙二、同草野正人は、原告速水澄子に対し、各自金九三五万三七〇〇円及びこれに対する昭和六二年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 原告速水澄子の被告若林弘雄、同佐藤義和、同三原進に対する請求をいずれも棄却する。
三1 被告株式会社トーキョウワールドコマース、同横田有功、同高木亮一、同金井竜吉、同敦賀勲、同飛田謙二、同草野正人は、原告佐藤すみ子に対し、各自金四七八万円及びこれに対する昭和六二年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告佐藤すみ子の被告佐藤義和、同三原進に対する請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告らに生じた費用の内、その一〇分の一を原告らの負担とし、その一〇分の五を被告株式会社トーキョウワールドコマース、同横田有功、同高木亮一、同金井竜吉、同田野正行、同若林三郎、同敦賀勲、同飛田謙二、同草野正人の連帯負担とし、その一〇分の四を被告株式会社山村企画の負担とし、被告若林弘雄に生じた費用を原告寒竹民子及び同速水澄子の負担とし、被告佐藤義和、同三原進に生じた費用を原告ら三名の負担とし、被告株式会社トーキョウワールドコマース、同横田有功、同高木亮一、同金井竜吉、同田野正行、同若林三郎、同敦賀勲、同飛田謙二、同草野正人、同株式会社山村企画に生じた費用を各自の負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
理由
第一 被告山村企画以外の被告らに対する請求について
一(当事者)
《証拠略》によれば、請求原因1(一)の事実が認められる。
請求原因1(二)の事実は当事者間に争いがない。
二(被告らの不法行為)
請求原因2ないし4について判断する。
1 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
(一)(1) 原告寒竹(昭和八年生まれ)は、高等学校卒業後、服飾関係の専門学校に進み、同校卒業後まもなく結婚し、以来一貫して専業の主婦であつた。
原告速水(昭和一七年生まれ)は、同寒竹の妹であり、高等学校卒業後、化粧品会社に勤務していたが、昭和四九年ころ仕事を辞め、以来専業の主婦であつた。
右両名とも、法律関係の知識に乏しく、過去に株式や商品取引を行つた経験はほとんどなかつた。
(2) 昭和六二年八月末ころ、原告寒竹宅に被告コマースから電話が入り、「東京粗糖つて知つてますか。」「東京粗糖というのは株ではありませんが、大変良いお話ですので、会社の者を差し向けますので、話を聞いてあげてください。」等と申し向け、商品取引の勧誘をしてきた。
同年九月一日、原告寒竹宅に被告コマースの部長代理と称する被告若林三郎が訪れ、「東京粗糖は新聞を見てみるとわかるように、一〇銭上がるということは大変なことで、一か月位の予定で二円上がつた時は、二〇〇万の投資で七〇万がお客さんの儲け、三〇万円が私共会社の手数料に頂くという割合で短期で絶対儲かるし、絶対安全です。」「こんな時期は二度と来ない。」「今を逃したら買う時期を失いますよ。」「国が砂糖の最低の金額を保証してくれているから大丈夫です。」等と申し向け、紙に値段のグラフなどを書きながら、商品取引の勧誘をした。原告寒竹は、「国が最低価格の保証をする。」という話に心を動かされたものの、決心できず、「考えておく。」と返答した。
翌二日、被告若林三郎から原告寒竹宅に電話が入り、同被告は、「粗糖二三・四で買いました。」と伝えた。原告寒竹は、契約も注文もしていなかつたため驚いたが、東京粗糖が現実に値上がりしており、また、前日の話から被告若林三郎を信用するようになつていたため、特に疑わず、これを了承した。
翌三日、被告若林三郎が原告寒竹宅を訪れた。同被告は更に新たな取引を既に行つていたが、同原告が「損をする心配はないか。」と問いかけたのに対し、「そんなことしたらすぐ訴えられて昭五六年から続いとる会社がもちませんよ。」「この看板を出すのには何億円というお金を積まなければ農林水産省が許可をくれません。」「野村や日興は大蔵省だけど、当社の場合は農林水産省で、もつと確実です。」「新聞には値段が出るし、お客さんにもどんなに儲かつているかが一目でわかりますし、私共は絶対に操作できないものですから、これ以上確実なものはありませんよ。」「お預かりする証券、現金も委託保証金ですので、会社の金庫に保存され決済した時はお返しするものです。」等と説明し、更に、「上がり始めてます。新聞の『東京粗糖』の欄を見ててください。」と申し向け、同原告が読売新聞を確認したところ実際に東京粗糖の価格が上がり始めていたため、同原告は被告若林三郎に対する信頼をさらに強めていつた。
その後、原告寒竹は妹の原告速水にも商品取引を勧め、原告速水もこの話を信用して同様の取引をしたいと思うようになつた。
(3) 同月八日、被告若林三郎が原告寒竹宅を訪れ、同原告が原告速水も取引を希望している旨を伝えたことから、被告若林三郎と原告寒竹及び同速水の三名で東京都港区高輪にある被告コマースの本店営業所に行くこととなつた。
右営業所において、被告若林三郎は原告速水に対し原告寒竹に対して行つたのと同様の説明をし、原告両名に対し、「最低の値段が国により保証されている。」「一か月以内には確実に二割以上の値上がりがある。」「損したとしてもそれほど大きくなく、ストップになりますし、短期で決済できます。」等と言つたため、右両名は同被告を信用し、被告コマースに商品先物取引を委託する旨の契約書を作成し、委託証拠金として原告寒竹は四〇〇万円を、原告速水は三二〇万円を差し入れた(ただし、原告寒竹の四〇〇万円のうち二〇〇万円については、同原告の弟である不二夫名義で差し入れた。)。
右契約書作成の前後、被告田野が原告両名に紹介され、被告若林三郎、同田野両名は、原告らに対し、証券を担保に建玉を増やすことを勧め、これを了解させた。
なお、右契約書の内容についての説明は一切なく、その作成後に原告両名にパンフレット等が交付されたものの、その内容についての説明もなく、原告両名はその後これを読むこともなかつた。
(4) その後、原告寒竹は被告若林三郎、同田野から毎日のように電話を受け、東京粗糖の値段が上がつていることを知らされ、また、自分で東京粗糖が値上がりしていることを新聞で確認して喜んでいた。
同月一四日、被告田野及び同若林三郎の前記勧めに従い、原告寒竹は現金一〇〇万円と別紙証券目録(一)1の証券を、原告速水は現金一〇〇万円と同目録(二)1の証券を、それぞれ追加の担保として差し入れた。
翌一五日、原告寒竹は被告田野からの勧めに従い増し建玉を承諾し、同月一七日に不二夫から預託を受けていた三井松島産業株式会社の六〇〇〇株の株券を同人名義で担保として差し入れ、同月二四日にも同被告の勧めに従い、不二夫名義で別紙証券目録記載(一)2ないし4の証券を差し入れた。
その後同年一〇月になつてから、原告寒竹は被告若林三郎、同田野に対し二、三度程決済を申し入れたが、田野被告らは、「去年はもつと上がつた。」「今じやもつたいないからもう少し待ちましよう。」等と言つてはぐらかし、これに応じなかつた。
同月一五日、原告速水は被告若林三郎からの電話で決済を勧められ、これに応じる旨を返答した。翌一六日朝、原告速水は、被告若林三郎から二度にわたり電話で、砂糖を決済し枚数を増やして大豆の建玉をした等の報告を受けた。この時被告若林三郎は、「砂糖は売つたが後、大豆の方へ動かしました。」「値を下げているので空売りしておきます。」「あなたのもうけでは一二〇枚しか買えないので、会社の方で八〇枚分足して、二〇〇枚にしておきます。」等と申し述べたが、原告速水は意味がわからず、出がけで話をする暇もなかつたことから、「姉に説明して下さい。」とのみ答えた。
(5) 同一六日、被告若林三郎は原告寒竹宅を訪れ、取引による利益として二〇〇万円を同原告に交付し、この間の取引で利益が出た旨、砂糖に代えて大豆を建玉した旨等を告げた。ところがこの時、同宅に被告田野から電話が入り、同被告は原告寒竹に対し、「大変なことになつてしまつた。午後の立会いで四〇円上がつてしまつた。」「このままにしておいて一〇〇円も上がつてしまうと今までの儲けもパー。この次の立会いで買いを入れないと恐ろしい程の損害を被る。」「今すぐ妹さんと一緒に会社に来てくれ。」「会社で損害をストップする為にお金を出して買つておくから寒竹さんにもいくらか出してくれないと。」「とにかく相談に乗るから来てくれないと。」等と告げ、同原告は気も動転して被告若林三郎と共に被告コマースの前記営業所に赴いた。
右営業所において、被告田野が原告寒竹に対し、「寒竹さんや平塚(原告速水の当時の姓)さんは上客ですから、会社もなんとかしてあげたいのです。」「その為にはここで九〇〇〇万出すんですよ。寒竹さんもできるだけ無理しても損をストップさせるだけですから、出してください。」「そして買つた方は高くなつたら利益を取るし、売つた方は下がつたら利益を取ります。」「私を信用してついてきてください。」「これで大損害はなくなりました。」等と言い、九〇〇〇万円のうち足りない部分を被告コマースが立て替えて原告らの損害を食い止める旨を説明した。原告寒竹は右説明の内容は理解できなかつたが、会社が大金を立て替えるとのことであつたため、自分も委託証拠金を追加しなければならないと考え、被告若林三郎が持参してきた前記二〇〇万円のうち五〇万円をその場で被告コマースに返還し、以上の経過を原告速水にも報告した。
そして、同月一九日、原告寒竹及び同速水はそれぞれ五〇〇万円を委託証拠金として被告田野に差し入れ、更に同月二二日にも、原告寒竹は不二夫名義で日興証券の投資信託証券一枚を、原告速水は別紙証券目録(二)2、3の証券をそれぞれ被告若林三郎に交付して差し入れた。
その後、原告寒竹は、被告コマースから前記三井松島産業株式会社の株式を売却したとの報告を同年一〇月終わりころ受けたが、それ以外は同被告から何の連絡も受けなかつた。
(6) 同年一一月五日、原告寒竹及び同速水は被告コマースを含むプラングッドグループ各社が警察から摘発を受けたことを新聞で知つた。それ以降右原告らは、被告コマースに委託証拠金や証券の返還を求め続けたが、原告寒竹が前記日興証券の投資信託証券一枚の返還を受けたものの、それ以外の返還を受けることができなかつた。
(7) 前記取引期間中、被告コマースが取引をしていたのは、香港市場における砂糖及び大豆の先物であつた。しかし、被告若林三郎及び同田野は、取引をしているのは東京粗糖であり、読売新聞の東京粗糖の欄を注意するように一貫して説明指示しており、原告寒竹及び同速水は右説明を信じて東京粗糖の価格欄に注目していた。
また、原告寒竹及び同速水は、取引の内容について判断する能力がなく、前記のようにすべて被告若林三郎及び同田野の言うがまま、なすがままに承認ないし黙認していたが、国が砂糖の最低価格の保証をしているとの説明を受けていたことから、取引により多少の損害が生じる可能性はあるものの、大きな損害を生じることはありえないと信じていた。
(8) なお、前記のように、原告寒竹は不二夫名義で委託証拠金ないし証券を差し入れたことがあつたが、右取引も実質上は右原告が行つたものであり、差し入れられた金員及び別紙証券目録記載(一)の各証券はいずれも同原告の所有にかかるものであつた。(4)記載の三井松島産業株式会社の六〇〇〇株の株券は、前記取引当時不二夫が所有し原告寒竹が管理を委託されていたものであつたが、昭和六二年一二月上旬ころに原告寒竹が不二夫から当時の価格である二七九万円で買い取り、その後約一年間で右代金は完済された。
(二)(1) 原告佐藤(昭和一八年生まれ)は、中学校卒業後、住み込みの家政婦として働き、昭和四四年に結婚し、以後、専業主婦をしている。同人もまた、法律関係の知識に乏しく、過去に株式や商品取引の経験はない。
(2) 昭和六二年一〇月七日、原告佐藤宅に、被告コマースの従業員の訴外西川から電話が入つた。西川は、「砂糖のことが新聞に出ていますので、ちよつと見て下さい。」「今二六・五になつていますね、これが暮れにかけてだんだん値上がりしますから、今買つておかれるとお得なんです。絶対儲かります。」等と言い、原告佐藤に対し商品取引の勧誘を行つた。同原告は、西川の説明通りに新聞に東京粗糖の情報が掲載されていたため、同人を信用し、取引を行う気持ちになつた。
翌八日、西川が原告佐藤宅を訪れ、原告佐藤は言われるままに契約書を作成し、六〇万円の委託証拠金を差し入れた。その後西川は、グラフ等を書きながら、取引の枚数を増やすように勧誘したが、原告佐藤は応じなかつた。この間、右契約書の説明等はなく、西川は一貫して東京粗糖の取引をしている旨の説明をしていた。
(3) 翌九日、原告佐藤宅に西川から電話が入り、再度買い増しをするよう勧誘したため、右原告はこれに応じることとし、同月一四日、更に委託証拠金六〇万円を差し入れた。その際、西川は、更に買い増しするよう勧誘するとともに、一度被告コマースの営業所に来るようにしつこく誘い、原告佐藤は、買い増し は断つたものの、被告コマースに行くことについては断りきれず、これを承諾した。
翌一五日、原告佐藤が西川とともに被告コマースの前記営業所を訪れたところ、被告敦賀がこれに応対した。同被告は、過去数年間の価格のグラフを示しながら、「ぐんと線が上がつているのはオイルショックの時です。この時は一〇億儲かりました。もうこういうことはないと思いますが。これから一か月位は上がるのは確実です。今買つておかないと嘘です。」「あと三〇〇万位買つておいてください。今買つておかないと損ですよ。」「二〇〇万でいいですから買つておいてください。お願いします。三〇〇万は確実に儲かります。」「絶対大丈夫です。まかせてください。」「お金は後でもいいですよ。今日買つておきますから。」等と執拗に買い増しを勧誘し、原告佐藤は、被告コマースを信用しており、また、被告敦賀が熱心に勧めるのに買い増ししないのは悪いような気がしたことから、同月二〇日に更に二〇〇万円を差し入れることを承諾した。
ところが、同月二〇日午前一〇時ころ、被告敦賀は原告佐藤宅に電話をかけ、「昨日株が暴落したので、皆商品の方へ殺到します。今がチャンスです。もつと買つておいてください。」「六〇〇万にして利益を一〇〇〇万に持つていきましよう。」などと、三〇分余りにわたつて声をからせて絶叫するような調子で買い増しを勧誘してきた。原告佐藤はその時はこれを断つたものの、右説明を信用していたことから、その日の午後二時ころに西川が右原告宅に集金に来た時に同人の勧めに従い、予定よりも四〇万円多い二四〇万円を差し入れた。更に、ちようどその時、原告佐藤宅に被告敦賀から電話が入り、西川がこれに応待した後、原告佐藤に対し、「敦賀より電話で『随分上がりそうだからもつと買つておいた方がよい。』とのことでした。」「今もつと買つておいたほうが得です。必ず儲けがありますから。」などと言つて更なる委託証拠金の追加を勧めたが、原告佐藤は、既に予定よりも多くの委託証拠金を差し入れていたことから、これを断つた。
翌二一日、被告敦賀は原告佐藤宅に電話をかけ、二〇分余りにわたつて、「もう少しお願いします。今上がつています。」「いくらでも買つておいた方がいいですよ。」「絶対大丈夫です。まかせなさい。」などと買い増しを勧誘し、原告佐藤はこれに根負けして、翌二二日、西川に対し、委託証拠金として一四〇万円を交付した。その際、西川は原告佐藤に対し、「これからはあまり電話などしませんから、特別に上がつた時とかはします。楽しみにしていてください。」と申し渡した。
(4) 同年一一月五日、原告佐藤は、テレビのニュースで被告コマースが警察に摘発されたことを知つた。
翌六日、原告佐藤は被告コマースに電話をかけ、西川を呼び出したが、担当が変わつたとのことで、訴外戸高久生がこれに応対した。原告佐藤は戸高に対し解約を申し入れたが、戸高は「まだ早いです。これからまだまだ上がります。」などと言い、これに応じなかつた。
その後、約一か月の間、原告佐藤は戸高に対し三回前後解約を申し入れたが、戸高はその都度、「まだ早いです。上がつているから解約はできません。」などと言を左右にして解約に応じなかつた。
同年一二月七日になり、戸高はようやく同月一〇日に決済に応じるとの返答をしたが、右期日になつて原告佐藤が決済について尋ねたところ、戸高は、「すぐにはお持ちできません。クリスマスにはお休みだから、その後にお持ちします。」と答えた。
(5) 同月一六日、原告佐藤が戸高に電話したところ、担当が戸高から訴外山口史人に変更されていた。山口は原告佐藤に対し強い口調で、「何昔のこと言つているんですか。マイナスが出ていますよ。こちらから請求しなければいけないんです。」などと答え、原告佐藤が、「この前上がつた時点で戸高さんに解約をお願いしたんです。お金を返して下さい。」と言うと、山口は、「そんな話のわからない人はいませんよ。」「じや売りに出したらどうですか。」などと言つて両建を勧め、そのあげくに一方的に電話を切つてしまつた。
(6) 同月一九日、被告コマースから原告佐藤に対し、損が出ているため不足金を五日以内に支払うよう請求する旨の内容証明郵便が郵送された。
(7) 前記取引期間中、被告コマースが取引をしていたのは、香港市場における砂糖及び大豆の先物であつた。しかし、西川や被告敦賀らは、取引をしているのは東京粗糖である旨一貫して説明しており、原告佐藤は右説明を信じていた。
(8) 昭和六三年一月末、原告佐藤は被告コマースから二〇万円の返還を受けた。
2 また、後掲各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(一)(プラングッド社の営業実態)
プラングッド社は、被告高木、同飛田、同草野、訴外山本嶺男(以下「山本」という。)らを中心として昭和五七年七月二日に設立され、香港商品取引所の正会員であるプラングッドインベストメントリミテッドを主な取継先として、右取引所における先物取引の受託を行つていたが、同社の業務実態は専ら、以下のようないわゆる「客殺し」の手法により積極的に顧客に損失を生じさせ、これを自己の利益として取り込むというものであつた。
すなわちプラングッド社においては、顧客が差し入れた委託証拠金ないしその代用証券がほとんど唯一の収入であり、売買手数料ではその経費をまかなうことは到底不可能な財務体質にあつたことから、当初より右委託証拠金等を顧客に返還せずに自己のものとすることを意図して営業活動が行われていた。ところで、香港先物取引市場における商品取引においては、同一限月に売買同数の注文をして取り次ぐ方法(バイカイ)をとれば低額の一定の保証金を預託するだけで委託証拠金の送金が軽減されることとなつていたため、同社はまずこのシステムを利用徹底し、客からの売買注文を香港商品取引所に取り次ぐ際、売買が全体として同数になるように顧客の注文と対向する自社玉(向かい玉)を建てて、右取引所に送金する保証金の額を最低限度に抑え、顧客からの委託証拠金の大部分は社内に留保し、この分を自由に運用して直ちに会社経費等に消費した。そして、顧客からの解約申入れに対しては、顧客に利益が生じている間は取引の継続を執拗に勧める等の方法により極力これに応じず(仕切拒否)、相場の変動により損失が生じるのを待つて、その段階で仕切る(損切り)ことにより、委託証拠金やその代用証券の返還を免れていた。
そして、顧客の獲得においては、損切りにより委託証拠金を取り込むという前記意図を秘し、女性従業員を使う等して商品取引に疎い一般の主婦等に無差別的に電話をかけ、先物取引の内容やこれが極めて投機性の強い取引形態であることを告げず、短期間で安全確実に多額の利益が上がる利殖方法であるかのように説明勧誘し、更に、積極的に顧客を営業所に来店させて契約をすることにより、海外商品市場における先物取引の受託等に関する法律八条一項本文所定のクーリング・オフの制度の適用を免れる等して、積極的に顧客の拡大を図つた。また、その後の取引過程においても、「必ず儲かります。」「絶対に大丈夫です。」等の虚偽ないし断定的判断の提示、顧客の無知に乗じた無断売買、難平(買増しや売増し)、利乗せ満玉(生じた利益を証拠金に繰り入れることによる増玉)、薄張り(委託証拠金の枠を越えて建玉をすること、)両建(相対する建玉を同時に行うこと)、途転(取引を一旦仕切つてそれと反対の建玉をすること)、ころがし(無意味な売買の繰り返し)等の手法を駆使し、顧客に極力多額の委託証拠金等を差し入れるように仕向けるとともに、ことさらに売買手数料を増大させたり相場の動きと逆行する取引を行つたりして、顧客の損失拡大を図つた。そして、内部的には、社員報酬は顧客からの入金からこれに対する出金を控除した額(預かり)に比例するとの歩合給制度を採用し、従業員が努めて預かりを増やし顧客に損切りをさせるように仕向けていた。
プラングッド社は、設立以来一貫して以上のような「客殺し」の手法による営業を会社ぐるみで行つていたもので、これにより、総額四〇億円以上の委託証拠金等を詐取し、その大部分を顧客に返還せずに消費した。その結果、同社は、海外商品市場における先物取引の受託に関する法律一一条一項に基づき、昭和五八年四月二八日及び同六二年一〇月八日にそれぞれ一か月の業務停止命令を受け、また、同社の実質的最高実力者であつた被告高木、同社の代表取締役であつた被告飛田、取締役であつた被告草野、同田野及び竹内は、昭和五八年から同六一年までの間、共謀して顧客二一名より現金二億四五六九万五〇〇〇円、小切手三通額面合計一〇〇五万円、債権一二通額面合計一二五〇万円、株券三通時価合計一一九万三〇〇〇円を詐取した罪で、平成三年三月一五日、東京地方裁判所において詐欺罪の有罪判決の言渡しを受けた。
(二)(被告コマースとプラングッド社の関係)
被告コマースは、被告横田らを中心として昭和五六年二月一七日に設立され、香港市場における先物取引の受託等を業務としていたが、昭和五九年一二月から翌六〇年一月ころ、社員の多くが退職したことから経営が悪化し、プラングッド社に援助を依頼した。そこで、プラングッド社の取締役営業本部長であつた竹内、従業員であつた被告金井等が被告コマースに出向して営業を指導し、竹内は同年四月一九日に被告コマースの専務取締役に就任し、被告金井も昭和六一年四月四日には同社の取締役に就任した。以上の経緯から、被告コマースはプラングッド社の影響下に入り、同社と同内容の営業活動を行うところとなつた。
更に、昭和六二年に入り、顧客からの苦情の表面化等によりプラングッド社の経営環境が悪化したことから、同年二月二日に被告コマースの本店がプラングッド社の本店所在地である東京都港区高輪一丁目四番一〇号に移転され、プラングッド社は徐々にその営業基盤を被告コマースに移していつた。その結果、同年夏ころにはプラングッド社は残務整理等を残すばかりの状態となり、一方被告コマースはプラングッド社の事務所、従業員、顧客等をそのまま引き継ぎ、その営業活動を承継した。
(三)(プラングッドグループの形成とその実態)
プラングッド社には、営業開始当初より、系列会社として八絋物産(当時の商号「東北コンチネンタルカンパニー」)があり、同社はプラングッド社と同様の営業を行つていた。その後昭和六〇年、プラングッド社は前記(二)のとおり被告コマースをその影響下に納め、更に同年一一月一三日に三洋トレーディング社を、昭和六一年一一月五日にコスモトレーディングインターナショナル株式会社を、昭和六二年二月一三日にマクロトレーディング社を、それぞれ子会社として設立した。以上各社はいずれも海外先物取引の受託等を業務とし、プラングッド社と同様の「客殺し」の方法による営業を行つていたが、互いに役員や従業員を派遣しあつて交流するとともに、後記のように役員等の会合を開いて統一した方針の下に営業を行い、その意味で一つの会社グループを形成していた(以下「プラングッドグループ」という。)。
(四)(被告高木、同飛田、同草野、同横田、竹内の地位)
プラングッドグループの最高実力者は被告高木であり、同被告は、前記各社のいずれについても形式上は代表取締役とはならなかつたが、自ら「会長」と称して実権を握り、ほとんど独裁的に経営方針を決定していた。また、被告飛田はプラングッド社の代表取締役、同草野は八絋物産の代表取締役、竹内はプラングッド社及び被告コマースの取締役であつたが、右被告らはそれぞれ順にグループ内のナンバー2ないしナンバー4の地位にあり、被告高木の右腕ないし左腕として、グループ全体の方針の決定を補佐するとともに、グループ各社の経営にあたつていた。
そして、被告高木は、グループ全体を掌握し、その方針を各社に浸透させるため、まず被告飛田、同草野、同横田、竹内、山本らを集めて「社長会議」ないし「役員会議」と称する会議を不定期に開催し、営業方針や営業目標、具体的な営業手法、給与制度等の社員の処遇や人事等、各社の経営全般に渡る事項を確認した。次に、月一回定期的にグループ各社の役員や支店長等を集めて「責任者会議」と称する会議が招集され、被告飛田の議長の下に、同高木、同草野、同横田、竹内、山本らが決定事項を伝達し、「新規をとれ。」「預かりを増やせ。」「出金を抑えろ。」等、営業成績向上に向けて檄をとばしていた。そして、グループの各社では、「営業会議」と称する会合を毎月一回、「朝礼」を毎朝、それぞれ開催する等し、従業員一人一人に対し前記伝達事項を周知徹底させるとともに、各人のノルマや担当部署の営業目標を示したり、成果に応じたボーナスの支給や海外旅行等の特典を示したりして、社員が方針通りに営業を行い成果を上げるように叱咤激励していた。プラングッドグループ各社は、このようにして決定、伝達された統一方針の下に活動を行つていたもので、被告コマースの前記(二)のような内容の営業も、右方針に従つたものであつた。
(五) なお、原告らは、被告若林弘雄、同佐藤、同三原も右各会議に出席してプラングッドグループ全体の意思形成に寄与した旨を主張しているところ、被告若林弘雄がプラングッド社の取締役であり、被告佐藤がマクロトレーディング社の、被告三原が三洋トレーディング社のそれぞれ代表取締役であつた事実はいずれも当事者間に争いがないものの、それ以上に右各被告が原告ら主張のように同グループ全体の意思形成に影響を与えるような役割を果たしていたとの事実については、これを認めるに足りる証拠は見当たらない。むしろ、《証拠略》によれば、右各被告らは、前記「社長会議」ないし「役員会議」のメンバーからは除外され、同会議において被告高木らが決定したプラングッドグループの意思を同被告らから伝達された後、これをそれぞれ自己のグループ各社の社員に命令伝達する地位にあつたにすぎないものと認められる。
3 以上1及び2の事実を総合すると、昭和六二年当時、被告コマースは、プラングッドグループの統一方針に従い、会社ぐるみでいわゆる「客殺し」の手法を用いた営業を行つており、被告若林三郎及び同田野並びに被告敦賀は右営業の一環として、当初より原告らに損切りをさせて委託証拠金等の返還を免れる目的の下に、前記二1の行為を行つたものと認められる。
三(被告らの責任)
1 商品の先物取引は、小額の委託証拠金で大きな思惑取引が可能な反面、値動きが激しく大きな損失を被る可能性も大きいという、極めて投機性が高い取引形態であり、また、取引形態が高度に専門化されているため、一般にこれに参加するには相当程度高度な知識経験が必要とされる。海外先物取引においては、このような先物取引一般の性質に加え、海外相場の確認や市場価格形成要因の把握がより困難であり、かつ為替相場の変動も考慮に入れる必要があること等から、投機性、危険性はいつそう高く、必要な専門知識も更に高度なものとならざるをえない。したがつて、こうした海外商品先物取引を業とする会社ないしその従業員は、顧客を取引に勧誘するにあたつては、商品先物取引特有の取引形態やその危険性を十分に告知説明し、その後の取引においても、顧客の経歴、能力、先物取引の知識経験の有無、取引の数量等を考慮して、顧客に損失発生の危険の有無・程度の判断を誤らせないように配慮すべき注意義務を負つているというべきであり、右会社ないし従業員がこの義務に違反し、勧誘行為や委託後の取引の実行が社会通念に照らして許容できる範囲を超えた場合には、右勧誘行為及び一連の取引の全体が違法性を帯び、不法行為を構成すると解するのが相当である。
しかるに本件においては、被告若林三郎、同田野、同敦賀は、前認定のとおり、被告コマースの前記営業方針に従い、当初より原告らに損切りをさせて委託証拠金等の返還を免れる目的の下に、香港の取引所との間では注文をバイカイでつなぎ、また、先物取引についてほとんど経験知識を有しない原告らに対し、ことさらに利益のみを強調して危険性を告知せずに勧誘した上、取引の目的商品を偽り、更には原告らの無知や狼狽に乗じた増玉や両建の勧誘、仕切拒否等の行為を行つたものであつて、同被告らの右勧誘行為及び一連の取引の実行は、社会通念に照らして許容できる範囲を著しく超えた違法なものであることが明らかである。したがつて、右は同被告らの不法行為であると同時に、被告コマースの不法行為にも当たり、右被告らは原告らに対し、それぞれ民法七〇九条に基づく責任を負うものといわなければならない。
2 次に、前認定のとおり、被告高木は、プラングッドグループの最高実力者として、グループ各社の方針を決定づけると同時に、被告コマースの取締役の地位にもあつて、経営を掌握していたものであり、被告飛田はプラングッド社の、被告草野は八鉱物産のそれぞれ代表取締役であり、右被告らはいずれも被告高木の下にあつて、同グループのナンバー2、ナンバー3の地位を占め、「役員会議」や「責任者会議」に出席する等して、同グループ全体の意思の形成やそのグループ各社への浸透に寄与したものであり、また、被告横田は、同グループの「役員会議」や「責任者会議」に出席する等グループの中枢に係わりつつ、被告コマースの代表取締役として同社の経営を担つていたものである。なお、被告金井は、プラングッド社の従業員としてその営業に関わつた後、昭和六〇年から被告コマースに移り、昭和六一年四月四日には同社の取締役に就任して、営業活動を推進したものである。
以上の被告らは、被告コマースの前認定のとおりの違法な営業方針を決定し、これに従つた違法な営業活動を指導・推進したものであり、被告コマースの社員である被告若林三郎らによる前記の不法行為も、右被告高木らを頂点とするプラングッドグループ全体の指導の結果として引き起こされたものと認められる。したがつて、被告高木、同飛田、同草野、同横田、同金井の右行為は、原告らに対する関係において不法行為に該当し、原告らに対し民法七〇条に基づく責任を負うものというべきである。
3 なお、被告若林弘雄、同佐藤、同三原についてはプラングッドグループにおける右のような地位・役割を認めるに足りる証拠がないことは前記二2(五)に説示したとおりであり、右被告らが、同グループ傘下の自己の会社の社員に対し、被告高木らの決定した意思を伝達・命令する地位にあつたものの、本件原告らに対する関係で被告高木らの意思形成に寄与する役割を担つていたものとは認められないから、原告らに対する不法行為を構成するとはいえず、したがつて、原告らの右各被告に対する請求は理由がない。
四(損害)
前記二1における説示に照らせば請求原因5(一)及び(二)の事実が認められ、甲第六五号証の一ないし三によれば同(三)の事実が認められ、また、同(四)の事実は弁論の全趣旨により認められ、弁護士費用として相当と認める。
以上により、同(五)の事実を認めることができる。
第二 被告山村企画に対する請求について(主位的請求関係)
一 被告山村企画に対する主位的請求の請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被告山村企画の転質権取得の成否(抗弁1及び再抗弁1)について判断する。
1 原告寒竹及び同速水が本件各証券をそれぞれ委託証拠金代用証券として被告コマースに預託したこと(抗弁1(一))は、同原告らと被告山村企画との間に争いがない。
ところで、一般に商品市場における売買取引の委託について、顧客から受託会社に対し委託証拠金の代用として有価証券を預託する行為の法律上の性質は根質権の設定と解すべきであり(最高裁判所第二小法廷昭和四五年三月二七日決定、最高裁判所刑事判例集二四巻三号七六頁)、本件の右預託行為についてもこれと異なつて解すべき理由はないから、この点に関する同原告らの主張は採用できない。
2 《証拠略》によれば、抗弁1(二)の事実(被告コマースと被告山村企画間の本件各証券についての転質権の設定の事実)が認められる。
3 そこですすんで再抗弁1(公序良俗違反)について判断する。
前記第一の三1において説示したとおり、商品先物取引、殊に海外市場における商品先物取引は特有の投機性及び危険性を伴うことから、海外商品先物取引の受託を業とする会社ないしその従業員には前記のとおり顧客に対する説明義務及び右の危険の判断を誤らせないように配慮すべき注意義務が課せられ、右会社ないし従業員がこの義務に違反しその程度が社会通念に照らして許容できる範囲を越えた場合には不法行為を構成するものと解すべきであるが、このような海外商品先物取引の性質に照らすならば、会社ないしその従業員に著しい義務違反があり、顧客に対する勧誘行為及びこれに続く取引の実行が違法性の強いものであつて、これが右の許容範囲を著しく逸脱した場合には、会社と顧客との間の一連の取引は全体として公序良俗に違反し無効となるものと解すべきである。
本件において、被告コマースが原告寒竹及び同速水に対し行つた前認定のとおりの勧誘行為及びその後の一連の取引の実行は、バイカイ、難平、両建、途転、損切り、仕切拒否等の「客殺し」の手法を駆使し、原告らの無知に乗じてことさら自己の利益を図る目的で本件各証券を委託証拠金の代用として預かつたものであり、海外商品先物取引を業とする会社としての右の注意義務に著しく違反し、社会通念に照らし許容できる範囲を著しく逸脱した反社会性の強い行為形態ということができる。したがつて、右原告らと被告コマースとの間の取引行為は全体として公序良俗に違反し無効であり、右両者間の本件各証券に関する前記根質権設定契約も無効となるものであるから、その有効なことを前提とする被告山村企画主張の転質権もその効力を生じないというべきである。
三 根質権の即時取得(抗弁2及び再抗弁2)について
被告山村企画が被告コマースと本件各証券につき根質権設定契約を締結し、右各証券の引渡しを受けたこと(抗弁2)は前認定のとおりであるから、すすんで、再抗弁2(被告山村企画の悪意又は重過失)について判断する。
1 後掲各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(一)(戦後日本における先物取引の展開)
第二次世界大戦後、商品取引所は昭和二五年に再開されたが、昭和三〇年代の前半までは、一般消費者に対する取引への勧誘活動は少なかつた。
昭和三〇年代後半に入ると、商品取引員(当時は「商品仲買人」と称された。)はセールスマンを使つて積極的な顧客獲得競争を開始し、商品先物取引に全く無知な消費者を過当な勧誘により取引に引き込んだり委託証拠金を流用したりして顧客に損害を与え、多くの紛議が発生して社会的問題となつた。そこで、昭和四二年に商品取引所法が大改正され、同四六年には商品取引員が主務官庁による許可制になつたが、なお紛議はなくならず、その後も引き続き消費者保護の施策が採られた結果、現在では悪質業者の活動は相当的に減少している。(なお、商品取引員には昭和四〇年ころからの悪質業者の流れをくむ人脈があり、紛議は特定の複数業者に集中する傾向があり、また、勧誘の手法等にも業者ごとの特徴が見られるとされる。)
一方、昭和五一年ころから、金の輸出入自由化等が引き金となり、国内商品取引業界出身の業者の金などの先物取引の私設市場を開設して取引をしたり、全くのノミ行為(顧客の注文を市場に取り次がないこと。)を行う意思であるにもかかわらずこれを隠して消費者を先物取引に勧誘したりして、顧客に損害を与える例が見られるようになつた。このような被害は昭和五四年から五五年にピークを迎えたが、商品取引所法の指定商品の追加により、私設市場の多くは姿を消した。
しかし、外国為替管理が徐々に自由化される中で、昭和五五年ころより、非公認の業者の多くは香港等の海外商品先物取引市場に活動の舞台を移し、ここでも多くの紛議が発生するようになつた。そこで、昭和五七年に海外商品市場における先物取引の受託等に関する法律が制定され、同五八年に施行されたが、なお被害の発生は収まらず、一般消費者に対する大規模な詐欺事件を頻発したことは、しばしばマスコミにより報道されている。
(二)(富士商品の実態)
富士商品は、昭和三八年、木原武男らを中心として、当時商品取引の受託等を業務としていた吉原米穀(後に「吉原商品株式会社」と商号を変更)から分かれて設立された株式会社で、やはり国内商品取引所における商品取引の受託等を業務としていた。
昭和四五年ころから同五七年ころまでの間、同社においては、顧客に対し安全確実に儲けが出るように申し向けて委託証拠金を預託させながら、建玉をバイカイでつなぎ、ころがし、無断売買、手仕舞い拒否等の手口により客を故意に損切りさせて委託証拠金を取り込むといつた「客殺し」の手法を用いた営業を会社ぐるみで行つていた。そして、国内商品先物取引業界においては昭和三〇年代後半から過当勧誘等による紛議が急増し、その結果昭和四二年に商品取引所法が改正される等の規制強化が行われたこと(前記(一))、昭和四五年四月一一日の衆議院予算委員会における答弁において、昭和四二年四月から四四年一〇月までの統計上で目立つて紛議件数の多い取引員として、富士商品が政府委員より名指しで指摘を受けていることに鑑みれば、富士商品は昭和四二年当時より、前記のような「客殺し」の手法を一般的に用いて営業を行つていたものと認められ(る。)《証拠判断略》。
(三)(プラングッド社、被告コマースと富士商品との関係)
被告高木は、昭和四〇年に富士商品に入社し、以来専ら同社の営業部門を担当、昭和四七年には同社の取締役に就任し、同五六年には専務取締役に就任して同社のナンバー2の実力者となつたが、そのころ同社の経営者と経営方針をめぐつて対立、昭和五七年四月同社を退社し、その後プラングッド社を設立するに至つた。被告飛田、同草野、訴外山本らはいずれも当時富士商品の取締役であつたが、被告高木に引き抜かれプラングッド社の設立に協力したものであり、また、被告金井、同若林弘雄、同田野、同敦賀、同三原など、プラングッド社の構成員の多くも、富士商品の出身者であつた。そして、プラングッド社が行つていた前認定のとおりの「客殺し」の手法の多くは、富士商品において行われていた手口を踏襲したものであつた。
被告横田も、昭和三九年から四九年まで富士商品に在籍し、同年、系列会社の日光商品株式会社に移り、更に昭和五〇年、やはり富士商品の系列会社であるロイヤル通商株式会社に移籍したが、昭和五六年に同社が富士商品と合併したことを機に同社を退社、被告コマースを設立するに至つた。
(四)(山村の経歴)
被告山村企画の代表者である山村は、昭和二三年に中井証券株式会社に入社、同二六年には同社の系列会社で商品取引を業とする中井繊維株式会社に移籍し、いずれも経理を担当していたが、昭和三九年六月、前記木原武男の誘いにより富士商品に入社、以来経理部長として経理を担当し、昭和四一年三月に同社の取締役に就任した。しかし、昭和四五年、同社に法人税法違反の疑いで査察が入る事件が起こり、その責任をとる形で翌年同社を退社、同社が入居しているビルの管理等のために設立された株式会社タケオ(後に「西海興業株式会社」と商号を変更)の代表取締役に就任したが、同社は間もなく休眠状態となつた。一方、山村は、昭和四八年に株式会社日伸を設立して物品販売を行つたが、これも業績が不振であり、昭和五一年ころには業務を行わなくなつた。昭和五四年三月、山村は、吉原商品株式会社(以下「吉原商品」という。)に代表取締役として迎えられたが、当時同社は商品取引の受託の業務を止め、木原武男の未亡人であつた木原ハツエの財産運用のための会社としてのみ存続していた。そこで山村は、右財産の運用方法として証券担保による金融業を開始し、以来現在まで同社を実質上一人で運営している。他方山村は、家庭内で不動産売買による譲渡益が生じたことから、これを運用するために、昭和六二年五月一九日、被告山村企画を設立し、以来同社を実質上一人で運営し、吉原商品と平行して証券担保による金融を行つている。なお、右の西海興業株式会社は現在、木原武男の実弟で富士商品のオーナーであつた立川政弘が個人的に商品取引を行うための会社となつているが、山村は現在も同社の代表取締役の地位にあり、期末決算書を作成する等の業務を行つている。
(五)(プラングッド社、被告コマースと吉原商品、被告山村企画との間の取引関係)
(1) 被告横田は、山村が富士商品の経理部長であつたころに同社の市場課に勤務しており、山村の直接の部下であつた斉藤と懇意にしていたことから、山村ともかねてより面識があつた。
昭和五八年七月ないし八月ころ、被告横田は山村に対し、吉原商品から被告コマースに対し証券を担保として融資をするように申し入れ、山村はこれを承諾して、以後、吉原商品と被告コマースは、証券を担保とした金銭消費貸借契約を継続的に行うようになつた。山村は、被告コマースに金銭を貸し付けるにあたり、同社が海外商品先物取引の受託等を業務としていることを知つていたが、その業務内容や信用等につき全く調査をせず、また、担保として吉原商品に差し入れられる証券は被告コマースが顧客から委託証拠金の代用として受け取つたものであることを知つていたが、吉原商品への担保差し入れについて顧客が同意しているかどうかは全く確かめなかつた。更に、吉原商品と被告コマースとの間では、金銭貸付や担保差し入れについて、契約書等の書面は全く作成されなかつた。
(2) プラングッド社の取締役であつた山本は、山村と同時期に富士商品に勤務し、山村の次の次の経理部長であつた関係から、山村とはかねてより面識があつた。
昭和五八年暮れないし五九年初めころ、山本は山村に対し、吉原商品からプラングッド社に対し証券を担保として融資をするように申し入れ、山村はこれを承諾して、以後、吉原商品とプラングッド社は、証券を担保とした金銭消費貸借契約を継続的に行つた。更に、山本は山村に対し八鉱物産を紹介し、吉原商品は八鉱物産に対しても証券担保貸付を行うようになつた。山村は、プラングッド社や八鉱物産に金銭を貸し付けるにあたり、右各社が海外商品先物取引の受託等を業務としていることや担保として吉原商品に差し入れられる証券は右各社が顧客から委託証拠金の代用として受け取つたものであることを知つていたが、右各社の業務内容、信用等や、吉原商品への担保差し入れについて顧客が同意しているかどうかについて全く調査せず、また、吉原商品と右各会社との間でも、金銭貸付や担保差し入れについて、契約書等の書面は全く作成されなかつた。
(3) 吉原商品の貸付先には、一〇社前後の海外商品先物取引受託会社があり、その中には、被告コマース、プラングッド社、八鉱物産の他、三洋トレーディング社も含まれていた。山村は、当時、海外商品先物取引の受託会社をめぐつて顧客に対する詐欺事件が数多く報道されていることを知つていたが、右貸付先の業務内容や信用等について、全く関心を払わなかつた。
(4) 昭和六二年六月、その当時被告山村企画に資金の余裕があつたことから、同被告と被告コマースとの間で、従前から吉原商品が行つてきたのと同様の継続的な証券担保金融が開始された。右取引については、全体の基本契約の契約書は作成されたものの、個々の金銭や証券の授受については、領収書等の書面は作成されなかつた。
(5) そして、右のような被告山村企画と同コマース間の取引過程において、同年九月から一一月までの間、被告山村企画は被告コマースに対し前記のとおり金銭を貸付け、その担保として本件各証券の引渡しを受け根質権をとりつけた。
(6) 昭和六三年二月当時、被告コマースは同山村企画に対し右の借入元金と利息を合わせ四〇五〇万円の債務を負つていたが、被告コマースは同月分の利息の支払をしなかつた。そこで、被告山村企画は同被告コマースに対し右支払の催告をし、なお支払がなかつたことから、担保として預託されていた証券を任意に価格評価した上、未払い債権に充当した。そして、右証券中、市場で売却換価できるものについて売却し、クローズ期間中で直ちに換価処分できない投資信託受益証券については、被告山村企画名義の記名式証券とするための手続きをとつた。
以上の手続きをするにあたり、山村は、証券の所有者である被告コマースの顧客に対し何の通知もせず、また、右顧客が被告コマースに対し債務を残しているか等について、全く調査をしなかつた。
2 以上の事実を前提に判断する。
右1(二)において認定したとおり、富士商品は既に昭和四二年ころには「客殺し」の手法を使用した営業を行つていたものであるところ、客に損切りをさせて委託証拠金を取り込むという営業方法は会社の財務体質と密接に関連するものであるから、当時同社の経理部長を務めていた山村は、右のような富士商品の営業実態を当然に熟知していたものと認められる。昭和四六年に富士商品を退社してからは、同人は直接には商品先物取引には関わつていないものの、富士商品の入居していたビルの管理をしたり、富士商品の設立者の木原武男の未亡人ハツエの資産を運用したり、富士商品のオーナーであつた立川政弘と交流を保つなど、先物取引業界に関わる人脈との接触を続けており、同業界の動向について、通常以上の情報に接することのできる環境にいた。そして、山村は、被告山村企画の代表者として、被告コマースやプラングッド社が富士商品の出身である被告横田や山本らが経営する海外先物取引の会社であること、並びに持ち込まれた本件各証券が顧客の預託した委託証拠金代用証券であることを十分認識していた上、当時海外商品先物取引を利用した大規模な詐欺事件がしばしば報道されていたことも知つていた。更に、山村は、被告山村企画を設立する以前から長期間、被告コマースとの間で証券を担保に金融貸付を行つてきたものであつて、以上の事実に照らせば、山村は、本件各証券が富士商品で行われていたのと同様の「客殺し」の手法により違法に取り込まれた可能性があることを容易に認識することのできる立場にあつたものと認められ、にもかかわらず、被告コマースの業務内容の調査や証券所有者の意思の確認等を全く行わなかつたというのであるから、被告山村企画は証券取引にあたつての最低限度の注意義務を尽くしていなかつたものといわざるをえない。
したがつて、被告山村企画には重大な過失があるものと認められる。
四 以上によれば、被告山村企画の主張する転質権は、その前提となる原告らと被告コマース間の根質権設定行為が公序良俗に反し無効であるため、その効力を生じないものであり、また、本件各証券の根質権を善意取得したとの主張も採用できないことに帰するから、これらの担保権実行を前提とする代物弁済(抗弁3)についても、その効力を発生するに由ないものといわなければならない。
五 最後に本件各証券の時価(被告山村企画に対する主位的請求原因3、右は請求原因一5(三)に同じ)については、前記第一の四に認定のとおりである。
第三 結論
以上によれば、原告寒竹及び同速水の被告山村企画に対する主位的請求はいずれも理由があるからこれを認容し、右原告らの同被告に対する請求が認容された場合のその余の被告らに対する請求については、被告コマース、同横田、同高木、同金井、同田野、同若林三郎、同飛田、同草野に対する請求はいずれも理由があるからこれを認容し、被告若林弘雄、同佐藤、同三原に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、原告佐藤の被告コマース、同横田、同高木、同金井、同敦賀、同飛田、同草野に対する請求はいずれも理由があるからこれを認容し、同原告の被告佐藤、同三原に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文及び但書、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 山田俊雄 裁判官 内田博久)
《当事者》
甲・乙事件原告 寒竹民子 <ほか二名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 斉藤雅弘 同 清水 聡
甲事件被告 株式会社トーキョウワールドコマース
右代表者代表取締役 横田有功 <ほか一一名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 山崎康雄
甲事件被告 株式会社山村企画
右代表者代表取締役 山村政春
右訴訟代理人弁護士 肥沼太郎 同 三崎恒夫